高市早苗首相が衆院選での勝敗ラインを3議席の増加と設定した。これに対して政権側が語る「勝利の証」は、果たして本当の勝利なのか、その背後には何があるのか。表向きの言葉を鵜呑みにするのは、ストレス社会で働く我々にとって少々危険な行為かもしれない。
公の場では「勝敗ラインを設定することで、チームが一丸となり、目標を持って選挙戦に挑む」という建前が通されている。しかし、肝心なところでの本音は「実際にはこの程度の議席増加でも御の字」なのかもしれない。果たしてこのラインがどれほどリアリティを持っているのか、我々は考える必要がある。3議席の増加が「勝利」とされるほど、政権側も厳しい状況に置かれているのだ。
SPA読者として感じるのは、今回の発言がサラリーマン社会にも妙にリンクしている点だ。よくある話だが、「少しでも成果を出せばOK」みたいな基準が日常にも存在する。「締切りに間に合えばOK」「お客様の機嫌を損ねなければOK」といった感じ。大の大人が経済や国の行方に関する大切な選択を、3議席増加という基準で語るとは、なんとも情けない話だ。「本当にこれでいいのか?」という声は、私たちにも身近な問題として響く。結果には責任が伴うべきだと思うのだ。
最近の政治風景を見ていると、選挙のたびに「解散の大義」が喧伝されるが、その実態は怪しげだ。国民が本当に選挙を通じて政策や人を選ぼうとしているのか、ただ権力者が自らの都合でカードを切り替えているだけなのか、見抜く力が我々には必要だ。特に、これからの世代が直面する課題は山積みで、こうした軽薄な言動が将来につながるとは思えない。
確かに、私たちの生活も厳しい。経済が冷え込む中で、少しでも安定を求める気持ちは理解できる。ただ、それが結果として社会全体の活力を奪ってしまうようでは、本末転倒だ。結局のところ、利害関係者の意向ばかりが優先され、選挙を利用したマーケティングの一環としての解散に終始する可能性は高い。
皮肉なことに、このような状況で3議席増が勝利とされるなら、もしかするとわたし達は「与党に投票しなければ、次回の選挙ではいよいよ選択肢が減る」という恐怖感に支配されているのかも。そう、実際の選挙は、自分たちの声を届ける重要な場であるにもかかわらず、ややもすればそれが「下手に選んでしまうと、より悪いものを選ぶリスクがある」というストレスを生んでいる。
政治の世界においても、働く我々の日常においても、目の前の数字や結果が曖昧な中で本当に求められるものは何なのか。選挙の本来の意味を取り戻すには、私たち自らがその意識をもつことが必要なのだ。
正直な話、考えどころだ。


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